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Franco et O.K. Jazz (1956-89)

Diatho Lukoko, Dialu Antoine, vocal (1977- )
Malage de Lugendo, vocal (1985-89)
Decca Mpudi, Mpasi Zinza , bass (1970- )
Lokombe Ntal, vocal (1980- ) ?
Thierry Mantuika, Kobi, guitar (1974- )
Monogi Mopia, 'Petit Pierre', guitar (1976-78 & 1984-89 )


Artist

O.K. INTERNATIONAL

Title

"SATAN" TOKOSOLOLA LISOLO YANGO!


ok international
Japanese Title

国内未発売

Date ?
Label JACKO PRODUCTIONS J.P.026.00 (Bergium)
CD Release 2001 ?
Rating ★★★☆
Availability ◆◆


Review

 太田幸司が入団したときから近鉄バファローズのファンだった。なかでも女房役の「ヒゲ辻」こと辻佳紀捕手が好きだった。土井、永渕、伊勢、小川もよかった。
 その近鉄が解体した。選手たちは、中村、ローズ、大村らを除けば、オリックスと東北楽天に吸収されていった。オリックスは主力級を総ざらえしていったといわれているが、東北楽天には、礒部をはじめ、岩隈、高村、吉岡、川口、鷹野、益田、高須など、平均年齢はすこし高めだけれど2001年優勝戦士たちが多く混じっていて、いわれるほど悪くはないと思っている。

 ここに紹介するO.K.インターナショナルはひとことでいうと東北楽天ゴールデンイーグルスのようなグループである。メンバー15人のうち、ヴォーカルのジャト Diatho Lukoki、マラージュ Malage de Lungendo、デッカ Decca Mpudi、ロコンベ Seigneur Lokombe、ギターのチェリー Thierry Mantuika とプチ・ピエール Petit Pierre、サックスのイブロ・サックス Iblo Sax の少なくとも7人がO.K.ジャズOB(シマロ時代も含む)。その意味では、O.K.ジャズの正統な系譜を継ぐにはちがいないが、ローズや中村のごとき中軸を欠くため、“いてまえ打線”の迫力がなくこぢんまり感は避けられない。そうはいいながら、何度か聴き返すうちに「まんざらでもないか」と思うようになってきた。

 収録曲は全部で11曲。トータル約74分。レコーディングの時期はわからないが、CD発売が2001年とのことなのでそのころにたぶんブリュッセルでおこなわれたのだろう。楽曲はロコンベとジャト合作によるラストの'POT POURRI FARLE' を除けば、メンバーが1曲ずつ提供。全体にソフトでスマートな仕上がりだが、多くの曲でO.K.ジャズのフレーヴァーはしっかり根付いている。

 バンドのキーマン、つまり礒部に当たるのは、70年代なかばにトゥ・ザイナからO.K.ジャズ入りしたギタリストのチェリーとみる。ジャケット写真後列左端でサングラスをかけて微笑んでいる穏和な蝶野正洋みたいな人物がそうだろうか。
 アルバム・タイトルになっている冒頭の'SATAN' は、チェリーの作品。いきなりセベン(ダンス)パートのようなにぎやかなイントロではいると、曲調やテンポがコロコロと変わっていく凝った構成のルンバ・コンゴレーズ。演奏中、いたるところでフランコをほうふつさせる甘美にしてメタリックな輝きを放つ力強いギターが挿入され、これはチェリーの仕業と思われる。『思い出の70年代』(オルターポップAFPCD207)をレビューしたさいに、かれをフランコの影武者かと邪推したことがあったが、このプレイを聴いて「あながちまちがいでないかも」と思った。フランコ時代の緊迫感やゴージャスさこそないが、O.K.ジャズのエッセンスが随所に散りばめられた佳曲である。

 O.K.ジャズとの類似点はコーラス・ワークにもよくあらわれている。
 たとえば、イブロ・サックス作の'HIROSHIMA'。まず陽気で軽やかなコーラスがキャッチーな主題を印象づけ、そのなかからソロ・ヴォーカルが浮かび上がり、これにコーラスが絡んで複雑なつづれ織りを紡いでいくジョスキーの作風を思わせる。曲後半には、たぶんフランコの故郷バ・ザイール州のフォルクロールが引用される。本家の壮麗さはないが、ファイラ Fayila とオニャ・アミシ Onya Amissi という女性シンガー2人(写真前列中央)を得て優美でシルキーな肌ざわりは健在。イブロの軽やかでよく歌うアルト・サックスもすばらしい。

 しかし、名門オルケストルの出身とはいいながら、フランコ晩年に大抜擢されたO.K.ジャズの岩隈、マラージュ(ジャケット前列右端)を除けば、ジャトもデッカもロコンベも大ベテランながら存在がむちゃくちゃ地味。

 写真後列中央にいるスキッ歯の林家喜久蔵似の人物が、シマロとO.K.ジャズのラスト・アルバム『王道』(GRAND SAMURAI CD 65055)に参加していたロコンベ・ボラ・ボリット Lokombe Bola Bolite そのひと。『王道』の解説でマエストロ・アライが語るところによると、エメ・キワカナ亡きあと、シマロが新たに発掘した人材とある。しかし、このひとの脳天を抜けるようなファルセットを聴くにつけ、60年代末から70年代はじめにかけてンテサ・ダリエンストとグラン・マキザールに在籍し、のちにともにO.K. ジャズ入りしたロコンベ・ンタル(またはンカルル)Lokombe Ntal (Nkalulu) ではないかという疑念も捨てられないでいる。モツ煮込みがいかにもお似合いなオヤジ風情はたかが数年程度で培われるものではないからである。

 そして、写真前列左端の金田龍之介似の恰幅のいいオヤジがジャト。ジャトはO.K.ジャズ在籍中の84年にサム・マングワナの後任としてジョー・ンポイとともに、エンポンポ・ロワイとペペ・オペトゥムティエール・モンド・コオペラシオンに参加。フランコ死後もシマロ率いるO.K.ジャズのメンバーとして活動した。ジャトはソロ歌手としてよりもO.K.ジャズ鉄壁のコーラス・ラインの一翼を担っていたタイプの歌手なので、かれの声音がいまひとつはっきりしない。O.K.ジャズの伝統では、歌の節目節目にフランコ本人によるドスの効いた気合いがひとこと入るのが常だったが、本盤でこのナビゲーター役をつとめているのがジャトではないか。近鉄(楽天)でいうと体格からして指名打者の川口か。

 諸星大二郎の『西遊妖猿伝』に出てきそうな写真後列右端のサル顔がデッカ。このアルバムではヴォーカルでの参加だが、本職はO.K.ジャズのベース奏者。O.K.ジャズの84年のヒット曲'TU VOIS?'(MAMOU) でマムーの役をユーモラスに演じたのはこのひと。歌はお世辞にもうまくないが、インドネシアの狂言まわし的な声色には捨てがたいものがある。
 そのデッカが書いた'LE JOUR LE PLUS LONG' は、ゆったりしたテンポながら、早口言葉のようにメロディ・ラインに言葉をぎっしり詰め込む70年代なかばにO.K.ジャズが得意としたタイプの曲。チェリーのギターも70年代のフランコ風。

 ギタリストのJ・B・バクトゥ J.B.Bakutu はまったく知らない名まえだが、この人物が書いた'WASHERIA' には古き良きルンバ・コンゴレーズの香りがもっともよく感じられる。クラベスを模した打ちこみがラテンのリズム・パターンを刻みながら、メンバーひとりひとりの名まえがさわやかなメロディのなかに歌い込まれていく。こうした和気あいあいとしたムードは、“オルケストル”というより“バンド”というニュアンスが強かった60年代前半のO.K. ジャズをほうふつさせるもの。

 もっとも本盤にはファイラ作の'MAKELELE YA NGUNGI' やオニャ作の'MUTENDE MANA-MANA' のようにO.K.ジャズの流れではないナンバーもいくつか含まれている。その究極といえそうなのがキーボードとプログラミング担当のチェペラ・チェペが書いた'BAN' AFRICA' である。
 これは'WE ARE THE WORLD' を思わせるメロディ・ラインを男女が合唱するモロ欧米風バラード。歌の合間に女性のクールなラップがはさまれる。この展開、このムード、どこか聞き覚えがあると思い、ひらめいたのがディック・リー。ポップスの王道を行く素直なメロディ・センスといい、ライト感覚なシンセの使い方といい、最新流行をそつなくとりいれる感性といいそっくりじゃないか。そう思うと、むしろこの曲こそ、マンネリ化したリンガラ音楽の殻をうち破ろうとした、本当の意味での“ワールド・ミュージック”なのかもしれない。

 最後にふたたび東北楽天に話をもどすと、選手の大半が近鉄出身であるにもかかわらず、なぜいまひとつ魅力に乏しいのかということの答えはおそらくここにある。
 近鉄“いてまえ打線”とは河内音頭を思わせる濃厚で強烈なエネルギーそのものだった。北川の代打サヨナラ満塁優勝決定ホームラン、優勝を決めたブライアントの4打数連続本塁打のような爆発的なお祭り騒ぎ。東北楽天にはこれがない。田尾を監督に起用するような、モーニング娘。に応援歌を歌わせるようなオーナーの三木谷に、河内音頭の、O.K.ジャズのディープな感覚を理解できる感受性があるとは思えない。「地域密着」としきりにいうけれど、じつは土俗性がすっかり洗い落とされたかたちだけのローカル、グローバリズムにおおわれた'BAN' AFRICA' の方向へむかっていることだけは確実だろう。南無。



(7.4.05)



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by Tatsushi Tsukahara